(最終更新日:令和2年10月14日)
こんにちは、パファです。
今日は僕の経験をお伝えします。
会社を倒産させて対人恐怖症とうつ病を発症しましたが、絶望を何とか耐え切りました。
倒産の恐れがある方、対人恐怖症やうつ病をお持ちの方向けです。
大丈夫です。
生きていけます。
倒産までの過程
今回は僕の経験を具体的に伝えさせて頂きます。
絶望を乗り越えてきた時の心境や病気の症状等です。
僕は処理できないほどの大きな事を背負い、生活も成り立たない金銭状態に陥って生きている感覚が無くなりました。
苦し過ぎて麻痺し恥もプライドも無くし、感情すらなくなりました。
それが僕が倒産させた時です。
何のために生きているのか。
苦しむために生きているのか。
終わりはいつくるのか。
誰か教えてほしいと心のそこから願っていました。
そんな僕の経験です。
僕は20代の後半から起業を夢見て努力し、30代になってから起業しました。
銀行から融資も得て、事務所と店舗を賃貸して開始です。
僕の地域では珍しい職種だったので初年度は珍しがられて、売上はそこそこありました。
最初の主力商品はそれなりに売り上げが上がりましたが、たった2年位です。
そこから売上は落ち始めました。
倒産した時の状況や心境
売上が落ちてから回復させることができず、借金につぐ借金。
借金に加えて、原材料費を支払えない。
家賃も支払えなくなり、一緒に始めた仲間やスタッフへも給料遅滞からの未払い。
支払いを滞らせてしまった企業数社の社長に何度も土下座で謝罪。
その会社の従業員のいる目の前で社長へ土下座し、心の中の何もかもが粉々に砕け散りました。
さらに弁護士や裁判所からの内容証明の通達。
会社も自宅へも請求書が山のように送付されたり、電話も鳴り止みません。
給料を払えなかったスタッフが労働基準監督署へ行き、呼び出されました。
このような事は他にも沢山あります。
そして僕はお金になる物を全て売り払い、昔親父にもらった貴金属も全て売りました。
当然ですが、僕は休みなく働いて給料はありません。
全て妻の給料と、両親から借りたお金で生活していました。
仕事が終えて夜中帰宅したら、母親が道路で泣いていました。
妻が借金の請求書の束を見て、呆然としていました。
そして僕の言動がおかしいと言われて精神科に行き、対人恐怖症とうつ病と診断されました。
今なら分かります。
完全に間違った行動をしていました。
対人恐怖症とうつ病の症状
先に。
僕は働いてこのようにブログを書けるまで回復しました。
心身ともに疲弊している方がこのブログをご覧下さっていたら、完治は出来なくても病気の症状を抑えて生活できる事をお伝えします。
今苦しんでいる方、生きていけます。
生きてさえいれば、未来はあります。
時間は少しかかりますが、回復します。
何のとりえも無い僕でも回復しました。
話しを戻します。
当時の僕は笑顔なんてできません。
人と話しをしていても、作り笑いか苦笑いが精一杯。
僕がいつ自殺するかわからない。
と知人に何度も言われました。
当時遺書まで書いていました。
ネットで書き方を調べて、何枚か書いた覚えがあります。
普通な所がない。
言葉も行動も不自然しかなかったようです。
確かに、今思うと記憶が無い部分が多々あります。
自分が言った覚えないの無い事を言っていたと言われたり、相手の言っている事が理解できない時とか。
当時は、ただ生きていました。
生きたいとか死にたいとかも考えられず、毎日過ぎるのを待って生きていました。
なぜなら夜中は誰からも連絡が来ないから、夕方になるのをとにかく毎日待っていた。
絶望の最中は先が見えない不安と、いつ解消するか分からない苦しみしか感じません。
電話も怖く、人と関わるのが心の底から恐怖でした。
家に居ても家族に申し訳なく、居場所が無い。
このまま僕が生きているだけで、多くの人の迷惑になると考えていました。
回復への道のり
絶望期、兼回復期①
倒産直前の話です。
僕は事務所を借りていました。
支払うお金も無いのに、契約更新を当たり前に考えていました。
つまりまだ倒産を考えていません。
しかし知人から「契約しない方がいい、一度自宅に帰って落ち着け」と言われました。
知人は間接的に事業を辞めろと言いたかったようです。
(ここから少しずつ倒産に向けた思考が刷り込まれます)
その時の僕は家賃の支払いが無くなるなら、支払いが少し浮く。
そこからまた復活できたらいいな。
くらいしか考えられませんでした。
というか、事業を辞めようとまだ思っていません。
つまり僕は倒産という手段を微塵も考えていませんでした。
そして知人からはっきりと「倒産させた方が良い」と言われました。
いきなり倒産と僕に言うと、何をしでかすか分からない。
そのために、少しずつ気持ちに倒産という選択肢を刷り込んでくれたようです。
だから抵抗無く受け入れられました。
回復期②
倒産を決めてからは家族が安心してくれました。
僕が死ななくても済むと感じてくれたようです。
倒産させてから、電話や書類の全てを「無視」する事にしました。
それを少しずつ救ってくれたのが母親です。
泣かせてしまった母親が、自宅へ戻った事を「良かったね」と一言言ってくれた。
しかし、父親は私と口もきいてくれません。
当たり前ですよね。実家のお金を使い尽くしてしまいましたから。
両親へは言葉にならないほど感謝しかありません。
回復期③
大変申し訳なかったと思いますが、裁判所や弁護士からの連絡以外極力無視し続けました。
お金を借りた知人も、消費者金融からも、どう思われても良いから自分を守るためにです。
自己中心的な考えなのは分かりますが、当時の僕はそれ以外の手段が分からなかった。
アドバイスをくれる人もいましたが、人が怖くてアドバイス通りに行動するのも無理でした。
しかし関わった方たちには大変ご迷惑をおかけしましたが、これが良かった。
僕は常識の無い人間だと思われたのでしょう。
連絡は時間の経過と共に少なくなっていきました。
この場を借りて謝罪します。本当に申し訳ございませんでした。
それからやっと少し解放されたような気がして、「休んでいいのか」と思い始めました。
回復期、兼病気の離脱④
今でも僕の気持ちは完全には癒えていません。
考えただけで心拍数が上がり、身震いするような気持ちです。
話を戻します。
倒産後、動けず自宅に居ました。
しかし生活も支払いもあるので、収入を得るために働かなければなりません。
当時の僕は働く以外で収入の得方が分かりませんでした。
だから病気を抱えながら働きました。
ここは個人差があると思います。
僕は家で繰り返し嫌な事を考えて塞ぎこむよりも、強制的に働く事で事情を知らない先輩同僚たちと話をする事で少しずつ癒されていきました。
一番良かったと思えるのは、働いている間は考えなくて良い事。
そこから考えないようにするために、瞑想をしたり散歩したりして思考を止めるように学び行動しました。
現在
現在、死にたいと思うほど苦しんでいる方がいれば、ぜひ参考にしてほしいです。
ですが、本当に苦しんでいるとネットも見る余裕なんてないかもしれない。
だから家族や、その周囲の方にも知ってもらいたい。
楽になる方法に進んでもらいたいから、届く事を願って書きます。
僕のように自分では気付けず、周囲のアドバイスから救われる人もいます。
自覚はありませんでしたが、自分で未来を切り開くような精神状態ではなかった。
もし病気でも読んで下さっている方がいれば、周囲の声から救われる事もあります。
全ての話しを聞くのは無理でしょうが、楽になれる選択肢があれば行動しかありません。
行動が気持ちを楽にしてくれます。
動けない時期も必要ですが、行動が楽にすると片隅に入れて置いてください。
ちょっとしたアドバイスで人生が変わる事もあります。
しかしアドバイスしてくれる人に注意してほしい事もあります。
目の前の行動だけのアドバイスにしてください。
あれこれ言われても、まったく頭に入りません。
だから目の前の行動についてだけにとどめて下さい。
例えば僕が言われたように「病院に行け」とか「契約をするな」とかです。
僕は今生きています。
生きていれば笑ったりこのようにブログを書いたり、自分の経験を伝えられます。
もしかしたら、誰かの行動のきっかけを作れるかもしれません。
ずっと辛い状態は続きません。
生きてさえいれば希望はあります。
だからもし今苦しんでいる人がいたら、今は逃げて下さい。
また新しく人間関係は築けます。
今の人間関係は全て捨ててしまって良いから、自分を守りましょう。
その先にまた希望があります。
終わります。
今日も最後までご覧下さり、ありがとうございました。
あなたの明日は今日よりも苦難が減り、より多くのチャンスと幸福に恵まれた1日になるように。
また明日。
関連ブログです。
生きていればいいんです。
日はまた昇ります。