pafa’s 研究所

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対人恐怖症と診断された僕。性格、経緯、症状、人間関係、現在を語る

(最終更新日:令和2年9月29日)

 

こんにちは、パファです。

 

 

今日は対人恐怖症とうつ病と診断された方向けです。

 

僕は対人恐怖症の方が強く表れたので、対人恐怖症をお持ちの方とその家族の参考になれたら幸いです。

 

僕は今でも人を怖い時がありますが、現在は病院も行かずに薬も飲んでいません。

仕事もしてますし、新しい事に挑戦もしてます。

 

うまく病気と付き合っていけてると思っています。

 

起業したり現在中小企業の管理職の立場を頂いています。

ある程度回復できます。

解説します。

 

 

 

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対人恐怖所になった僕の性格

 

僕の病気は今も完治していません。

何を持って完治かはわかりませんが、病院は何年も行っておらず薬も飲んでいません。

 

もちろん治ったら良いと思いますが、治らなくてもいい。

それが僕だから、と思っています。

 

病気と診断されるより今までの苦労の方が圧倒的に辛かったから、病名を告げられるのはどうでも良いです。

 

僕は元々内向的な性格で、人と話すのが苦手です。

自分から会話を切り出す事もなく、人と一緒にいて無言でも苦ではありません。

むしろ無理に話を切り出して愛想笑いする等、合わせる方が辛いです。

 

本当に気心を知れた同士だけで充分です。

 

学生時代から僕の個人的な事は人には言いたくありませんでしたし、聞かれたくもありませんでした。

別にやましい事はしていませんが、詮索されるのがとても嫌で苦痛でした。

 

だから同級生の多くの人とは、心を開いて打ち解けていません。

僕が心を閉じているから。

 

でも心を開くのが苦痛なんで、友達もいなくて平気でした。

 

そんな性格だからか、1人で完結するバイクと車が大好きです。

別にたむろするわけでもなく、自慢するわけでもなく自己満足です。

 

好きなように改造し、あまり大きな声で言えませんがそこそこのスピードを出してテンションを上げる。

今でもエンジンが唸る音や、タイヤのスキール音、オイルの焼ける匂いを嗅ぐと鳥肌が立ちます。

 

働いて得たお金の多くはバイクと車に使い、特に誰にも自慢する事なくそれでおしまいです。

そんな性格を土台に多くの経験を元に対人恐怖症になった経緯をお伝えします。

 

 

対人恐怖症への経緯

 

僕は過去に起業しましたが、約5年で倒産しました。

倒産させる1年前ほどから病気を発症しました。

 

多くの借金を抱え、一緒に始めた元仲間の方たちへも給料を支払えませんでした。

もちろんその方たちは生活できないから、僕を罵倒します。

騙されたと。

 

暴力を受けた事もあります。

もちろん責める事はありません。

全て社長としての僕の力量がありませんでした。

 

詳しくは下記記事を御覧ください。

 

pafa.hatenablog.com

  

僕には妻がいますが、子供はいません。

生活は成り立たず妻にも借金を作らせ、両親の貯蓄も使い切りました。

 

それだけでは足りず請求書も山のように郵送され、弁護士や裁判所からの通知も複数ありました。

 

取引先からも催促の電話が毎日鳴ります。

取引先で土下座をした事も何度もあります。

相手先の社員がいる目の前で、社長に対して土下座です。

 

当たり前ですが悪いのは僕です。

土下座で許してもらえるはずもありません。

 

結局「いつまでにいくら払えるか」を約束するまで相手社長は納得してくれませんでした。

 

それが何年も続きます。

終わらない未来に絶望しかありませんでした。

 

すると休日も無く睡眠することもできず、ストレスを発散する時間が1秒もありません。

気持ちが休まる瞬間なんて存在しません。

そんな精神状態です。

 

 

対人恐怖症の症状

 

次第に表情が無くなり、感情が失われていきました。

(と、言われました)

 

何を見ても聞いても楽しくありません。

相手の表情ばかりが気になり、相手が笑っていると笑いました。

不快な気分にさせたくなく、調子を合わせるように引きつって笑っていたと思います。

本当は1ミリも楽しくありませんでした。

 

当時はロボットのようでした。

毎日会社に出勤して返済出来ない事を謝罪しながら、お金を工面する。

その繰り返しです。

 

すると人が怖くなり、人と合うのが苦痛になりました。

特に電話が苦手でした。

 

電話が鳴るとビクッとしてしまい、これは今でも治っていません。

電話は僕にとって恐怖です。

そしてスマホはいらないんじゃないかと、今でも思っています。

 

症状がひどくなってくると、「何を言っているのかわからない」とよく言われました。

支離滅裂な事を言うので、相手をさらに苛立たせていたようです。

正直、今ではあまり記憶がありません。

 

僕的には問いに対して応えているつもりでしたが、周囲からはまったく噛み合ってなかったようです。

 

今振り返ると、内心は人と話すのが恐怖でしかなかったです。

 

声も震えていたようでしたし、言い直しや言い間違いだらけでした。

もっとひどくなると、聞かれた事に対して考えが真っ白になり、何も考えられませんでした。

だから返答もできません。

相手は「無視」されたと感じ、怒ります。

 

 

勧められて病院を受診

 

周囲の人から普通じゃないと言われ、勧められて精神科に行き始めました。

医師から診断されたのは「対人恐怖症とうつ病」でした。

 

医師に言われたのはうる覚えですが、特に対人恐怖症が強く出ているようでした。

 

当時を振り返ると、とにかく人が怖かった。

家から出るのが恐怖でしかありませんでした。

 

それから薬を飲んでいくらか落ち着いた気もしますが、根本の原因が解決していないのでスッキリはしません。

 

それでも眠剤が効いて、少しは眠れるようになりました。

症状が表れている時は病院を受診した方が良いです。

不眠は心身を根元から崩していきます。

 

 

家族の支え

 

そんな状態の僕ですが、妻がいます。

自宅に帰れば妻は居てくれますが、生活費は妻が働いてくれた給料だけです。

 

僕の借金もあるのでまったく足りないのですが、それでも妻は支えてくれました。

 

働いた上に、妻は両親に頼んでお金を借り続けてくれました。

 

それでも足りない時は僕に「生活費が無い」と言います。

すると僕はどうしようもないので、また塞ぎ込みます。

悪循環でしかありませんでした。

 

幸運と言っていいのか有難かったのは、それでも妻が離婚しなかったことです。

僕は何度も聞きました「なぜ離婚しないのか」と。

 

返答は「苦しみ(貧乏)に慣れた」でした。

離れる事は無く、今でも隣に居てくれています。

 

 

対人恐怖症からの離脱

 

時は流れ、人に誘導されてやっと会社を倒産しました。

 

僕は完全にいかれてましたから、他の方に勧められるままに倒産です。

善悪が分かっていませんでしたし、記憶がない部分も多々あります。

 

倒産後半年程経ってから、関わった全ての人との連絡を一切絶ちました。

自分を守るためです。

当時は何と言われようと思われようと、叩かれようと覚悟して無視を決めたんです。

もう何通も裁判所から封書が届いていたので、どうでも良くなっていた気持ちもあります。

 

電話やメール、封書全て「無視」です。(弁護士や裁判所からの封書だけは対応しました)

 

もう全てに耐えられませんでした。

もちろん迷惑をかけているのも、申し訳ない気持ちもあります。

しかし当時の僕には何もできませんでした。

だから無視を約1年続けました。

 

無視をする事を決めたら、いくらか気持ちが楽になったと記憶しています。

 

 

病気を持ちつつ働いて回復期

 

どんな状態であれ支払いはあったので、雇われて仕事を始めました。

当時の気持ちは大型台風の目のようです。

 

お金が無いから生活が出来ない、人が怖くて接点を持ちたくない、僕と妻のそれぞれの両親から借りれるだけ借りたので借りれない、これ以上何をしたら良いのか分からない。

 

これをグルグル回転させて布団にうずくまっていました。

 

そして恐れが出ました。

転職になるとまた人と接します。

 

怒られたり迷惑をかけたりしないかと、ありもしない未来を考えて恐怖でしかありませんでした。

 

しかし食べ物を買うお金が本当にありません。

だから働きました。

 

極力人とは関わらず、意見もせず、淡々とこなすだけ。

人の言いなりで、会話を回避して行動していた記憶があります。

 

辛く仕事を始めましたが、逆に借金がなければ引きこもっていた自信があります。

もしかしたら今も働かずに家にいたかもしれません。

 

改めて働いて救われた気持ちと、学んだことがあります。

 

事業を失敗したのを働いた先の方々は知りません。

倒産させたと伝えても、どういう状況なのか知らないから大した反応がなかったのが助かりました。

 

環境を変えるというのは、時として人を救います。

 

しかしダメな事も学びました。

借金があると伝えると、同僚は警戒しました。

要は「お金を貸してほしい」と言われると思わせたようです。

 

倒産は伝えて問題ないけど、借金はダメ。

 

 

自分の居場所は自分で作る

 

どんな会社に入っても、最初は自分の居場所はありません。

借金があろうがなかろうが。

 

いつも落ち込んでいる人より、笑顔で接している方が人は受け入れてくれます。

そう学びました。

 

裁判所や弁護士から封書が届き、出頭命令が来ても。

電話が日中何度も鳴り響き、仕事が終わると二十件とか着信履歴があっても。

人と接したくなくても。

 

日々、職場の先輩方と日を追う毎に楽しく語らいました。

今思うと辛くても仕事を始めたのが、いいリハビリでした。

 

 

病気を治すよりも根本的な問題の解決へ

 

病院に通いながら思っていました。

 

病院では症状を軽減させてくれる薬は処方しれくれるが、問題を解決はしてくれない。

 

僕がするべき事は病気を治すのではなく、問題を解決させる事だと。

 

一時的な逃げは絶対必要ですが、問題の根本を解消できません。

いずれ解決しなければなりません。

 

ここまで考えられるようになったのは病院に通い始めてから約2年経ってからです。

一切の無視を決め込んで連絡を絶ち、いくらかまともに考えられるようになりました。

 

倒産してからの僕の問題は借りたお金を返すことです。

 

そこで法テラスという、弁護士へ無料相談できる制度を2度使わせて頂きました。

様々アドバイスを頂いて、僕が開けたくなかったパンドラの箱を開けるように言われました。

僕もそれが鍵になっている事は分かっていましたが、怖くて逃げていました。

 

助かったのは、もし僕がパンドラの箱を開けてトラブルになったら、弁護士が盾になってくれるという後押しです。

その言葉をもらえて、僕はパンドラの箱を開けました。

  

結論だけを伝えると、弁護士を通さずに僕にとって望ましい形に進んでいます。

 

そこからは嫌われてもいいから、自分の思うように行動しています。

例えば関わった人と直接会ったり、電話は拒否しています。

全てメールかLINE、封書です。

声を聞きたくないですし、直接会いたくないです。

 

それと同時に古い環境から、新しい環境へ全てを変えることを決めました。

 

 

今でも人は怖く感じる時がある

 

僕は今でも人が怖い時があります。

そう思う人たちの気持ちはいくらか体験でわかるつもりです。

 

今は中小企業の管理職で部下もいます。

完治できていなくても働き、こうやってブログ等新しい事を始めています。

 

立ち直るまではとても苦しいですし、今でもそれと戦う時もあります。

時間はかかりますが、回復します。

 

今苦しんでいる方が僕のように途中逃げたとしても「なんとかなる。大丈夫」と自身を守って頂きたいです。

 

大丈夫です。

なんとかなります。

 

生きていたら、なんとかなります。

間違いありません。

 

終わります。

 

 

今日も最後までご覧下さり、ありがとうございました。

あなたの明日は今日よりも苦難が減り、より多くのチャンスと幸福に恵まれた1日になるように。

また明日。

 

 こちらを読んで頂ければ、もっと理解できます。

 妻との改善までの話し。

pafa.hatenablog.com

 

生きる気力が無くなったら、私みたいな人もいることを知ってください。

pafa.hatenablog.com

 

 苦労から逆転はあります。実体験です。

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